References (77)
胡振祺「明代铁炮」 『山西文物』1(1982) , 57.Joseph Needham, Science and Civilization in China: Military Technology (CAMBRIDGE PRESS, 1986), 303.王兆春『中国火器史』 (軍事科学出版社,1991 年) , 83.成東「明代前期有銘火銃初探」 『文物』5(1988) , 68-79.胡振祺 , Ibid, 57.「衛」というのは、明において各地方の駐軍の単位である。 「明以武功定天下 , 革元舊制 , 自京師 達於郡縣 , 皆立衛所 .」 (清)張廷玉撰「兵一」 『明史』 (中華書局) ,89:2175;明代の軍事機構については、謝忠志「明代の五行都司」 『明史研究専刊』7(2008) ,16:77-142 を参考されたい。名,軍 5481 名,舍 242 名,余 3510 名」 。明成化『山西通誌』 (中華書局、1988) , 321.Joseph Needham, Ibid, p303.現在、 大砲 A と大砲 B は山西博物院の倉庫に保管されている。大砲は、 山西省芸術博物館に展示中。 山西省芸術博物館は山西博物院の前身であり、1950 年代山西博物館は現在の住所へ移転した。明において、弾丸の材質は石、鋳鉄、鉛の三種類がある。 13 『山西文物』に洪武大砲を紹介したのは 1981 年であり、特に出土年代を書いていなかったため、 私はずっと 1981 年頃に出土されたと思っていた。英国 Sheffield University Tim Wright 教授に お願いして、Needham の紹介した論文の原文を探し出して頂いたことで、真実に一歩近づいた。 ここで Tim Wright 教授に感謝したい。READ, T.T. 'The Early Casting of Iron, a Stage in Iron Age Civilization.' GR, 1934, 24 : 544. しかし、この論文において Read は、洪武十年を 1378 年であると誤算し、そして GOODRICH は 1944 年に発表した"Answer to query No. 105" (Isis, 35 : 177) にて洪武十年は 1377 年である と訂正した。GOODRICH, L.CARRINGTON. 'Note on a few Early Chinese Bombards.' ISIS, 1944, 35: 211.George Sarton は明の初期において、火薬を使う火砲は本当に存在するのかと疑問を持ち、さら にその疑問を Dr. KAEMPFFERT に伝えた。 Dr. KAEMPFFERT から BISHOP 夫人に連絡があり、 夫人はこの疑問の解答と��て、ご主人 BISHOP 氏の遺留した日記の一部を送付した。SARTON, G. 'Query NO. 105. A Chinese Gun of +1378 ?' ISIS, 1944, 35: 177.「平陽衛、府治東北」 、 「兵器局、府治東北」 。孔尚任総纂『平陽府誌』清康熙版(山西古籍出版社, 1991)8:141.武器を製造する場所である。『平陽府誌』 ,Ibid, 19:302.Ibid, 19:309.Ibid, 1:図考七。 23 『明太祖実録』 ,88:1567-1568.明)宋応星『天工開物』 (上海古籍出版社,1993) , 97.『平陽府誌』 ,Ibid, 30:862.清)顧成禹「山西方與紀要」 『讀史方與紀要』 (北京:中華書局,2005) , 39:1774-1775.『平陽府誌』 , Ibid, 3:58.山西省の西南地域を指す。『平陽府誌』 , Ibid, 17:287.Bredt, Clayton, 'Fighting for Fun, and in Earnest', "Notes on the History of Material Arts, Gunpowder and Firearms in China". HEM, 1977, 21 : 9.Germanischer Museum: Quellen zur Geschichte der Feuerwaffen, II. Leipzig. 1877.辛格主编『技術史』 「地中海文明与中世紀」 (上海科技教育出版社,2004) ,2:52.SARTON, G. 'A Chinese Gun of +1378?' ISIS, 1944, 35 : 177.有銘火砲とは、砲体に銘文が付いている火砲のことを指す。銘文には、火砲のデータおよび製造 関連情報が刻まれている。 35 王兆春『中国軍事科技通史』 (解放軍出版社,2009) ,168-175 に詳細リストがある。 36 このグラフは以下の文献を参考して作成したものである。王兆春『中国軍事科技通史』 ,167-170, 172-175, 183, 226-228;成東「明代前期有銘火銃初探」 『文物』5(1988) , 69, 71, 72, 74-76;成 東「明代後期有銘火砲概述」 『文物』4(1993) , 80, 82-83, 85;Needham、Military Technology、 290-305;鍾少異等「內蒙古新發現元代銅火銃及其意義」 『文物』11(2004) , 65-67;項春松「內 蒙古赤峰市大明鎮發現明初銅銃」 『考古』8(1990) , 767-768;師萬林「甘肅張掖發現明代銅銃」 『考 古與文物』4(1986) , 101;陳烈「河北省宽縣出土明代銅銃」 『考古』8(1985) , 759;李逸友「內蒙古托克托城的考古發現」 『文物資料丛刊』4:214-215;劉善沂「山東冠縣發現明初銅銃」 『考古』 10(1985) , 914:程長新「北京延慶發現明代馬上佛郎機銃」 『文物』12(1986) , 91-91;王榮「元 明火銃的裝置復原」 『文物』3(1962) , 41-45;朱捷元「明末鄭成功所造銅炮」 『文物』1(1981) , 80;劉志一「內蒙古克什克騰旗出土明代銅銃」 『文物』7(1982) , 93;成東「碗口銃小考」 『文物』 1(1991) , 89-91;袁曉春「山東蓬萊出土明初碗口炮」 『文物』1(1991) , 91-92;魏國忠「黑龍江 阿城縣半拉城子出土的銅火銃」 『文物』11(1973) , 52-54;崔璿「內蒙發現的名初銅火銃」 『文物』 11(1973) , 55-57;杜蔚「甘肅定西出土明代管形火器」 『文物』6(1994) , 37;従って。新しい出 土火砲が発見されることにつれ、グラフは変化すると予想される。Woolwich の Rotunda 博物館に所蔵、Needham, Ibid, 243, 252.嘉靖年間から仏郎機、万暦から紅夷大砲の製造技術を学び、錬鉄方法から大砲の鋳型まで多く伝 来した。仏郎機については周維強「佛郎機銃與宸濠之叛」 『東吳歷史學報』8(2002) , 93-127;伊暁冬『十六、十七世紀傳入中国的火器製造技術及び弾道知識』 (中国科学院博士学位論文、2007) , 51-56; 李斌「關於明朝與佛郎機最初接觸的新史料」 『九州學刊』3(1994) , 95-100 を参考したい; 紅夷大砲については、黄一農「紅夷大砲與黃太極創立的八旗漢軍」 『歴史研究』4(2004) , 74- 105;黄一農「歐洲沉船與明末傳華的西洋大炮」 『中央研究院歷史語言研究所集刊』 ,3:573-634; 黄一農「天主教徒孫元化與明末傳華的西洋大炮」 『中央研究院歷史語言研究所集刊』4:911-966Ibid, 193:3900-3901.王兆春『中国军事科学技术史 -元明清卷』 (山西教育出版社,2009) ,256。 43 史宝珍「镇江出土的明代火器」 『文物』7(1982) ,91-94.清)張廷玉等撰『明史』 (中華書局) , 8:2175.『明太祖実録』 、 (台灣商務印書館)巻一二九、洪武十三年正月丁末。『明史』 , Ibid, 8:2193-2228.王兆春『中国軍事科技通史』 (解放軍出版社,2009) , 170.成東「明代前期有銘火銃初探」 , 71-72.この表は、成東「明代後期有銘火銃初探」 『文物』 (5)1988, 68-79;王兆春『中国火器史』 ,73- 74, 76-83, 90-97 などのデータに基づいて作成した。 50 宝源局とは明政府おける火器製造機構である。なぜ地方の衛所にて兵器生産する必要性があったのか、詳細については成東「明代後期有銘火銃 初探」 、72-73 を参照したい。 52 (明)唐順之著『武編』任繼愈主編『中國科學技術典籍通業彙』 (河南教育出版社,1994) , 5:366.徐光啓「錬兵疏稿一 巡歴已周寶陳事勢兵情疏 泰昌元年十月十六日」 『徐光啓集』 ,3:153。 54 韦占彬「明代北部边防中火器应用状况及其局限」Journal of Shijiazhuang Teachers College (2) 2004, 6:54-59.何汝賓著《兵錄》任繼愈主編『中國科學技術典籍通業彙』 (河南教育出版社,1994) , 5:686.王兆春『中国軍事科技通史』 , Ibid, 176.成東「明代前期有名火銃初探」 , Ibid, 69.王兆春『中国軍事科技通史』 , Ibid, 99.史宝珍「镇江出土的明代火器」 , Ibid, 94.この FEM 有限要素法解析は立命館大学機械工学科助教の張聖徳博士との共同研究である。 61 李約瑟『中國科學技術史』 『化學及相關技術 ─軍事技術 ─ 火藥的史詩』 (科學出版社,2005) , 5:7:。出典: 『中國鑄造技術史』古代卷(航空工業出版社,1994 年) , 122.この大将軍砲靖国神社遊就館に所蔵する 1592 年 (万暦年間) に基づいて作成。寸法は有馬成甫 『火 砲の起原とその傳流』 (吉川弘文館、昭和三十七年) 、175 の図面を参考にした。 65 「兵录」任繼愈主編『中國科學技術典籍通業彙』 (河南教育出版社,1994) , 5:684.C.M. チポラ『大砲と帆船 -ヨーロッパの世界制覇と技術革新』 (平凡社,1996) , 39.Alessandro Capobianco, Corona e palma militare di artigleria di artigleria. Venice: Rampazetto, Republished 1602, 13; 伊暁冬『十六十七世纪伝入中国的火器制造技術及弾知識』 , 156.胡維佳編《中國古代科學技術史鋼 ─技術卷》 (遼寧教育出版社,1966) , 48.最初の冷兵器は商の時代に青銅によって作られ、それを第一の青銅時代と呼ぶ。春秋戦国時代か ら鋳鉄に代って、元末火砲が現れるまで兵器はほぼ鉄製である。鉄制兵器の時代に生まれた青銅 製火砲という現象は第二の青銅時代と呼ばれ、美術史家達も中国明朝において青銅器の倣古傾 向を注目したため、 「第二の銅器時代」とも呼ばれていた。Paul Moss, The Second Bronze Age, Later Chinese Metal Work、 (London: Sydney L. Moss, 1991)では第二の銅器時代の作品を紹介 している。 70 李弘祺「中國的第二次銅器時代 -為什麼中國早期的炮是用銅鑄的 ?」台大歷史學報報,12(2005) , 36:1-34.「武編」任繼愈主編『中國科學技術典籍通業彙』 (河南教育出版社,1994) , 5:317-318.趙士楨「神器譜・神器雑説三十一条」任繼愈主編『中國科學技術典籍通業彙』 , Ibid, 5:650.TIM Wright, Coal Mining Industry in China's Economy and Society, (Cambridge University Press, 1984), 68.劉彩雲「中国古代高炉的起源和演変」 『文物』 ,2(1978) , 22.明)方以智「物理小識」 『四部精要』 (上海古籍出版社 , 1992) , 13:1187.Foulkes, Ch., The Gun-Founders of England. Cambridge, 1937, 12, 23.C・M・ チ ポ ラ, Ibid, 59( 原 文 Elias, J. Schetsen uit de Geschiedenis van ons Zeewezen, The Hague, 1916, 1-88.) 。Calendar of State Papaers, Domestic, Jan.21, 1626, 19 : 1625-26.C・M・チポラ,Ibid, 56(原文 Van Dillen, Amsterdam, doc. 1108 より転載) 。辛格『技術史』 , Ibid, 4:68.C・M・チポラ, Ibid, 57.辛格『技術史』 , Ibid, 3:56.C・M・チポラ, Ibid, 38.中沢護人『ヨーロッパ鋼の世紀』 (東洋経済新報社、昭和 62 年) , 29.Ibid, 55-56.Ibid, 30-34.方一兵「焦炭煉鐵的發明與英國工業革命」 『科學導報』2009, 27:21.ヨーロッパにおける大砲のビジネス化関連論著は、William H. McNeil, The Pursuit of Power, (The University of Chicago Press, 1982), 1000-1600 を参考されたい。 90 陳方正『継承と叛逆 -現代科学為何出現於西方』 (三聯書店, 2009) , 522.克萊因『西方文化中的數學』 (復旦大學出版社,2009) ,2;Ibid, 71.